丸をつけるノート
毎シーズンの前になると、次のコレクションはどういった気分なのだろうと気になる言葉やイメージを文字に書いていくことから始める。
線の入っているノートが苦手で、真っ白な「自由帳」に縦書きだったり横書きだったりしながら、かなり適当にざっくりと。
その中の文字から特に気になる文字に丸をうって、さらにその文字を並べ替えたりして、今回はこういう気持ちなんだなと改めて思う。
かみしめる。これをどうやっても人に説明することはなかなか難しくて、このもやもやした言葉の集団をどうしたものかと毎回考えている。
その中にいつも入ってる文字があって、「喫茶店に着ていく」と毎シーズン毎シーズン書いてある。そして毎シーズン丸がつけてある。
もう、書かなくてもいいんじゃないか、ぐらい。とにかく私は毎シーズン「喫茶店」から逃れられない。
「喫茶店」に行ったのは、専門学校へ行くために上京してから3年目だった。
その2年前に「珈琲時光」という映画を友達と見た。主人公が喫茶店に行き、東京の電車に乗る話だった。
友達と見終わった後、「なんかいいよね?これなんだろうね?」と話し、それからしばらくしても、「やっぱりあの映画良いよね?何にも起こらない映画だったのにね。これなんだろうね?」とだらだらした日常風景のだらだらした映画に感動していた。あの不思議な気持ちはうまく説明ができなくて。『なんか良いけど、何が良いのかわからない映画』なのだ。
その映画を見て1年後にたまたまその話を学校でしていたら、「あれは「御茶ノ水」が舞台だよ」と先生が教えてくれた。
レシートの裏に喫茶店の地図や舞台となった場所を書いてくれて、「ここが好きなら、きっとここも好きだと思う。」と全然関係ない喫茶店も教えてくれた。
その「喫茶店」へ訪ねて行ったのが私の中で大きな出会いだった。
日常なのに、日常と少しだけ切り離されたような空間と、バッチリおしゃれまではしなくて良くて、でもしゃんと背筋を伸ばしてきちんと珈琲を飲みたいなあ。という気持ち。
どこかで、勝手に自分の物作りとつながっているような気持ちさえしてしまう。
また、今回も私の真っ白ノートには「喫茶店に着ていく」と書いてあり、毎度のことながら丸がうってある。